楽しく生きるための

親の期待と決めつけは、毒かもしれない

 
 

親の中には、子どもに期待してしまう人がいます。期待を、子どもに乗っけてしまうのです。私の母がそうでした。

高校までは、まだ良かったのですが、大学進学となったときに、母は私に「法学部に行け」と言ってきました。私の父は、私が中2の時に亡くなっていて、それから母が実質父親も兼ねていましたので、母としては、不安だったのだと思います。世の中の仕組みがわかる法律家になってくれたら、母自身が安心できたから、そう言ってきたのだろうと今では思います。

私は、どうしたかというと、母を喜ばせたくて必死に法学部目指して受験勉強しました。結果として入学したものの、入ってから、後悔しました。絶望といってもよいです。…分からなかったからです。授業の内容が。

法律には、数学のセンスが必要なのです。ところが、私には全くその能力が欠落していました。

多少、面白味を感じられたら良かったのですが、面白くもなんともなかったし。それは、当然です。自分が選んだ学部ではありませんでしたから。

その後、私は転学しました。法学部ではないところに。母にはお金をつかわせてしまいました。それは、申し訳ないと思っています。

それから、就職して、結婚して、離婚しました。

母からは、今も責められます。

私に注いだ教育費は、ドブに捨てたのと同じ、と言われたりします。

実際は、そんなことはないのですが……。転学したあとの勉強のおかげで、今、なんとか仕事が出来ているからです。

しかし、大学受験してから何十年も経った今、とてもよく理解できるのは、「親の期待に沿って学校を選ぶのは誤り」だということです。

自分の行きたい方向に、行くべきです。私は進学先を決める時に、母の期待に沿って、喜ばせようと思ったのが人生最大の失敗でした。

そうなった理由、母の期待に沿おうとしてしまった自分の行動の理由も、今では、わかるのです。

親の期待に沿った理由

ひとえに、自己肯定感が非常に低かったからです。

自己肯定感が高い人は、主張できます。「私は、法学部ではなく、社会学部に行きたい」とか。そして、相手を説得できるんだろうと思います。

私は、出来ませんでした。その時は、親の期待が、自分のモチベーションだったのです。自分が、無かったといえるかもしれません。

自己肯定感を失った理由


もともと、幼い頃から、美醜のことを母から言われていたのです。

「あなたは美しくないから勉強しないと」

女に生まれて、小さい頃から「お前はうつくしくない」と言われ続けるのは、なっかなかつらいものがあります。

驚いたのは、母からは「うつくしくない」と言われ続けてきた自分が、歳をとる中で

「いい女だ」「きれいだ」「かわいい」と言われる機会があったことです。そのたび、耳を疑いました。

今になって思うのは、「美の基準なんて、ひとそれぞれなのだな」ということです。

私の母からは、私は醜い娘だったのですが、、、、醜くない、可愛い、と思う人がいる、ということだったのです。

母から「うつくしくない」と言われていなければ

私の人生は、だいぶ違っていたと思うのです。もっと自信を持って、堂々と、人々と繋がりを持てていたはずです。ある意味、私の現状を招いた遠因に、母がいます。

そういう気づきがありましたので、私は、じぶんの子どもたちに、外見についてジャッジしたり、進路についてこうしろああしろ、と言うことは全くありませんでした。とにかく子どもたちには、高い自己肯定感を持って欲しかったからです。

母からは、私の子供たちへの態度は「厳しさがない」「甘すぎる」ということを言われます。ですが、子どもたちは、私が同じ歳の状態よりも、とても安定して、明るくて、周囲の人たちとしっかり関われているので、自分の接し方が悪かったとは思いません。

反面教師として。

悲しい哉、母とは、たぶん、生きている間、感覚を共有することは出来ないでしょう。母は、私に対しても、私の子どもたちへも死ぬまで不満だろうと思います。

それは仕方のないことなのです。親も子どもも、お互いに相手をえらべません。母にされたことを、他者に行わないように、今後の人間関係に生かしていくことが、大切かなとおもいます。

親となる人には、どうか、子どもの容姿や才能を決めつけるような言動、進路を強いるような事はしないで欲しいなと、切に願います。



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