母の延命治療をしなかった事

2021-07-08

皆さま、こんにちは。

実は、この半年の間に、母が体調を崩し、坂を転がり落ちるように弱り、他界してしまいました。

今の半年って、コロナ禍ということもあり、なんとなくメリハリなく過ごしてしまいますが、その間にあっけなく、人ひとりが死んだりするんですね……。

亡くなった原因は、脳腫瘍でした。膠芽腫という悪性のものでした。見せていただいたMRIの写真では、母の脳の前頭葉部分に、腫瘍が星雲のように広がっていました。

通常であれば、①開頭して病巣を切り取る手術をし、②放射線治療・③抗ガン剤投与を行うそうです。が、母は後期高齢者でしたので、そもそも開頭手術は不可能。そして、他の治療は一切おこないませんでした。

というのも、母が元気だったころ、

「私は何かの病気になっても、一切、延命治療はしないでね」

と何度も私に告げていたからです。

母が悪性脳腫瘍である事が判明し、このまま治療をしなければ数ヶ月の命であると宣告された日、先生が私に尋ねました。

「とことん治療したいですか?」

それに対し、

「希望しません。延命治療はいたしません」

といきなり私がキッパリ言ったので、先生はちょっとびっくりした表情をしたのを覚えています。

その後、大学病院では、どういうわけか放射線等の治療計画を立ててくれようとしていました。私は「本人が希望していませんでしたので、これ以上の治療は受けなくてけっこうです」と言っていたのですが。

それでも大学病院の先生は

「治療をしたら、歩けるようになるかもしれませんよ」

などと言うのです。びっくりしてしまいました。その頃、母はすでに自力で身を起こすことも、立つことも、トイレに行くことも、言葉を発することもできなかったからです。車椅子に乗っている時も、落ちてしまわないよう、身体を椅子に結びつけているような状態で、ひざ下の脚はもうすっかり骨と皮みたいになっていました。なんで歩けるようになるなんて思うんだろう?

またある時、先生からお電話があり、「だいぶ調子が良いので、おうちに帰れるかもしれませんよ」と言われたことがありました。

それはすなわち在宅で全介護(食事、排泄、お風呂、なにもかも)をするということなのですが、私はフルタイムで仕事をしており、介護をするとなれば退職することになります。それもあって、「在宅での世話は私には無理です。療養型病院で見ていただくことを希望しています」と答えましたら、

「ええ?帰らなくていいんですか?!」

と先生の驚いた声。私は愕然としてしまいました。その時の母は多少元気だったとはいえ(といっても看護師さんとのコミュニケーションがいつもより取れていた程度で、全く自力で体を動かせない状態)、全的介護が必要な人間を、家に戻そうとするなんて。このお医者さんは、患者の家族の生活を全く考えることなんてないんだなと思いました。

しかし、私の決意が固かったので、その後先生方もそれを受け入れてくださり、治療はせずに療養型病院に転院することになりました。

実は、それまで私は、療養型病院というものを知りませんでした。延命治療は希望しないものの、自宅で介護することもできず、困り果てて医療従事者の友人たちに母のことを相談しましたら、「療養型病院への転院を希望します、って言えばいいんだよ」と教えてくれたのです。本当に感謝しています。

(★療養型病院は、延命治療をしないからといって、どんな人でも入れるわけではありません。一定の要件を満たした人を収容する施設です。私の母は介護認定時に要介護4であり、すでに寝たきりの状態でしたので、収容の対象者でした。)

療養型病院に転院したその日、看護師さんから

「これでお会いになれるのは最後です」

と言われました。私と、子どもたちは、母に声をかけました。母は、意識はあったと思いますが、目を閉じたままでした。

延命治療をしない、といっても、その後、いくつかの選択肢がありました。病院によってもその内容は違うらしいです。

転院時は、母は介助してもらえれば、自力で水を飲み、食事を摂ることができていたのですが、まもなく意識レベルが低下し、こんこんと眠り続け、口から栄養・水分を摂れなくなりました。

本当に、何も延命治療をしないという事であれば、そこで何もしない、つまり1週間後くらいに絶命する事を受け入れるという人もいるそうです。

しかし、さすがに私は、それはできませんでした……。高カロリーの点滴を、太腿の血管からカテーテルで入れる、ということをしていただきました。ただし、これも、カテーテルを入れる血管が弱ってしまったらそれまでです、という説明でした。(「胃ろう」の処置をする病院もあるそうですが、母がお世話になった病院では選択肢としてありませんでした。あったとしても私は選びませんでした)

そして1ヶ月ほど過ぎたころ、病院からお電話がありました。

「胃から口元に水分が上がってきて、吐きそうになる。誤嚥して水分が肺に入ってしまうと誤嚥性肺炎になって危険なので、水分を胃から排出する管をいれますね」

という内容でした。

私は、同意しましたが、

「ああ、もう、身体が点滴を拒んでいるんだな……」

と思いました。もう、身体が栄養や水を消化・吸収できなくなっているのだと感じました。

その10日後くらいに病院に行き、毎月の入院費支払を済ませるときに、母の様子を看護師さんに撮影していただいたのですが、画像を見て、ショックを受けました。

胃から水分を排出する管が、はずれないように、顔に取りつけられていました。呼吸の音も荒く、苦しそうに見えました。

「ああ、もう、カテーテルも、あの口の管も、なにもかもはずしてあげるべきではないだろうか?!」

苦しかったです。どうしたらよいか、わからなかったです。

その後、1週間ほどして、昼間、病院から

「〇〇さんの呼吸が止まりました。今からいらっしゃれますか?」

という内容でした。

 

母は、「延命治療はしないでね。でも、痛みは、取ってね」と私に頼んでいました。痛みについては私はいつも気にしていて、病院の先生や、看護師さんには常々お願いしていましたが、幸い、本人が痛みや苦しみを訴えることはなかったです。

抗癌剤・放射線治療によって、正常な細胞にショックを与えてしまい苦痛が生じる事があるそうですが、うちの母はそれはなかったようで、良かったと思います。これは、母が「もう自分は十分生きたわ。こんなに長生きするとは思わなかった」とよく笑って言っていたから、可能だったことだろうと思います。

もちろん、若く将来のあるかたが母のような病を得たときに、しっかりと新しい医療技術での治療を受けることは大切だろうと思います。

 

もし、母のような高齢者のご家族がいらっしゃるかたに、参考になれば、幸いです。

広告

生と死

Posted by やよい丸